社長メッセージ

日砺建設の礎

現場大好き、当社代表の吉武が、建設業と自らのライフワークの関係について語ります。

社長かホームレスか

高校生の頃、学校の門前にあったパン屋のおばちゃんの占いがよく当たるという言い伝えがあり、私も姓名判断と手相を見てもらった。「あなたは絶対に社長になるべく人。社長を辞めたらホームレスになってしまうから頑張りなさい。」パン屋のおばちゃんは私に強くそう言った。

何かと感化されやすい年頃である。以来「わたし社長になる」と周囲に吹聴し、「先生たちが定年退職したら、わたしの会社で雇ってあげるから」と大見得を切って卒業した。その後インテリアデザインの学校に進み、さらに建築設計の学校に行き直す。昼間は工務店でバイト、夜は学校の日々を送る中で、昼間の工務店で見た監督さんたちの仕事ぶりに触発されて現場監督を目指すことにした。

おんな監督

現場監督になろうと決めて面接に挑むも、女は前例がない、何かあっても責任が取れないといった理由で何社にも断られる。先方の事情や気持ちはわからなくもないが、こちらとしてはそれまでの人生において、何かを誰かに責任を取って欲しいなどと考えたこともなく、なんだかバカにされたような気分になり、捨て台詞を吐いてお暇した会社もあった。

そんなときに私を拾ってくれた会社の社長は、夜の学校のあと働いていたスナックのお客さんだった。木造専門だったその会社がRCに進出し始めた頃で人手が欲しかったのだろう。専門学校出たての私は、いきなりRC5階建て新築マンションの現場に放り出され、日々職人さんに叱られながら覚えた仕事はいまだに忘れない。当時は現場に女性がいるはずがないと思われていたので、一緒に現場で作業したり食事したりしていたのに、職人さんたちに最後まで女だと思われていないことが何度もあった。それくらい建設現場における女性の存在は希有な時代であった。

会社を立ち上げる

そこから数年、早く社長にならないとホームレスになってしまうと、27歳で独立起業するも、わずか2年で得意先の倒産に遭い、そこで生じた多額の負債を背負いながら40歳まで走って一度力尽きた。その時、二度と請負はやるまいと決めたのに、仲間に誘われ再び会社を作ったのが48歳。2014年、日砺建設を設立。

フラとの出会い

2016年、占いふたたび。有名な手相観の方を知り、早速見てもらったところ、これまで男勝りと言われてきた私の中に今か今かと出番を待っている女の子がいると指摘を受けた。

「その子を前に出してあげる時ですよ」
「踊りがよいです。それも衣装を着けて楽器も使うような踊りがよいです。」

きっぱりと言われ、信じやすい私もさすがに戸惑った。踊る?50歳から?

それでも節目節目で導かれるままに様々な八卦を受け入れてきたので、とにかくやってみるかとダンスというキーワードで探し始めた。どれもこれもいままでの自分には全く接点の無いものばかり。フラダンスにおいては、おばさま方の居場所探しのような、ともすれば蔑んだ目でみていたくらいだったが、それでもこれから自分に起こるかもしれない変化を期待して、自宅至近にフラダンス教室をみつけ、よくわからないから飽きるまで通うことにした。その時はこんなにも深く濃く取り組むようになるとは全く思っていなかった。

フラと建築

カヒコと呼ばれるハワイの古典フラがある。ハワイと日本はよく似ていると聞いたことがあるかもしれない。カヒコを知って、なるほどそういうわけかと納得したことがたくさんある。中でも一番は、ハワイの人々の信仰が日本と同じく自然信仰であり、私たち日本人が八百万の神を祀ることに通じるところだと思う。

建設業において信仰は切っても切れないものだ。私が建設業に入った頃、社で行く新年の成田山参拝には、女は穢れるからと一度も連れて行ったもらったことがない。毎朝会社の神棚に挨拶をし、地鎮祭は当たり前、工事で古井戸など出ようものならその時点で作業はストップ、神主さんの奉祀がないと職人さんたちは一切動いてくれない、そんな環境にいる私が自然信仰に根ざすフラに傾倒するのは自然な流れであったように感じる。

私が師事している先生の教えは、たくさんあるフラの流派でもハワイ島のフラだ。ハワイ島のフラのシンボルはペレと呼ばれる火山の神様で、破壊と再生が主なテーマになっている。ペレがその地を焼き尽くしたあと、ヒイアカと呼ばれるペレの妹が再生を担う、まさに私が従事している仕事そのものではないか。こちらは人為的ではあるものの、古い物から新しい物への刷新を担っていることに違いはなく、時には自身がペレになったかのように錯覚する。

私が敬愛するハワイの人たちの教えが2つある。ひとつは、先に述べたペレの破壊すなわち噴火に対し、ハワイの人たちは自身の家が焼けて消滅しても嘆くでもなく恨むでもなく、ああ、ペレが仕事をしただけなのだと納得すると聞いたこと。自然界においての人間の立場や役割をこんなにもわかりやすく解いてくれる先人の教えはあっただろうか。

もうひとつは、昔、アメリカ統治前のハワイでは山からの恩恵を受けるのに、強い者から先に欲しい物を取っていくのではなく、山頂から裾野までを円錐に見立て、表面を三角形に切ってそれぞれに偏りや過不足が出ないように自然の恵みを分け合ったそうだ。これも私が望む強者も弱者も同じように自然界に存在してよいのだという教えである。

勉強が嫌いでも不得意でもいい

昔の建設業は社会的弱者の受け皿のような役割を担っていた面がある。勉強が出来る環境になかったり、そもそも勉強が嫌いだったり、一般的な組織になじめず「普通に」勤めていくのが困難なような子も、その頃はそれなりに社会で立つ場所があったと思う。

この会社を作る前に、「大工になりたくて、ものつくり大学に行きました。」という子に出会った。そのときの違和感はいまだに心に残っている。ものつくり大学が良い悪いではない、もちろん。ただその期間を実践に使えば、より早くより深く知ることができるのにと思った。

一緒に働こう

勉強が嫌いな子、じっと据わっているのが嫌いな子、無理して大学に行かなくてもよいよ。うちにおいで。現場監督だけじゃない、職人さんや設計士や宅地建物取引士、建築営業でもよいよ。「建築・家」に関わる業務ならなんだっていい、自分が向いていたり得意だったり、やりたいと思っただけでもいい、やってみようよ。どんな人にも必ず居場所があるのだから、諦めないで訪ねてきて欲しい。あなたにやってもらいたことはたくさんある。待ってます。